うにょら~堂

関東在住のへなちょこ社会人(バイク乗り、たけのこの里派)が思ったことや行ったところについて書きます。

公民館の謎音楽イベントで付き人をして見たもの

 僕が大学時代に所属していた某部活動の吹奏楽は、パート(楽器)毎に定期的に外部の先生を呼んで各個人と原則1対1のレッスンを行っていた。たぶんどこの吹奏楽団も多少なりとそういう事をしていると思うが、たいていの人は自分の担当楽器の先生とだけ関わりを持つことだろう。当時僕が吹いていた楽器はオーボエだったので、オーボエの先生とも確かにそれなりの頻度で連絡を取り合っていた。

 ところが、当時僕はコンクールメンバーで唯一のオーボエ吹きでソリストという事情でちょくちょく気を遣ってもらえたおかげか、何故か他の楽器の先生数名ともわりかし面識と交流があった。パートの範疇を越えて木管セクション全体の面倒を見てくれて、オーボエの座席位置をとても演奏しやすい位置へ変更するよう指揮に進言してくれたサックスの先生。クラリネットの発表会なはずなのに声を掛けてくれてオーボエ二重奏やオーボエファゴット二重奏を演る機会をくれたクラリネットの先生。そして、今回の話の発端となるのはパーカッションの先生だ。

 そのパーカッションの先生(プロ奏者。僕と同じくらいの子がいる女性)をS先生としよう。僕らが夏季合宿でとある東北の県に滞在中、うちの団のパーカッションの指導をしにはるばる東京から来てくれることになっていた。新幹線駅と合宿先は少し離れていたので、当時4年生(合宿のタイムスケジュールから離れて行動しやすい学年)で運転免許を持っていた僕は、合宿期間中の送迎用に手配してあるレンタカーを使って駅まで迎えに行くことになった。以前から全体の合奏にも顔を出してくれていたので、楽器は違えど互いに顔と名前は知っていたのだ。

 駅でS先生と合流し合宿先へ向かう最中、話の中で僕(当時実家済み)とS先生の最寄り駅は隣同士であることが分かった。そしてその場でそこそこ仲良くなった。……部活とは全く関係の無いところで1日限定の臨時アルバイトを打診されるくらいには。

 

 12月にある定期演奏会で、僕たち4年生は事実上の引退となる。演奏会直前の合宿にもふたたび顔を出してくれたS先生と世間話をしていたら、突然こんな事を言われた。

「こんどK市で演奏の仕事があるんだけど、車出してくれない?」

 僕が僕の実家のコンパクトカーを運転し、マリンバ(木琴のたぐい)と先生ご自身を運んで欲しいと言うのだ。報酬は1万円高速代と燃料代は先生持ち(最終的におつりどころかもう一往復できるくらい貰えた)。朝に出て日の出ているうちには戻って来れるスケジュールと距離だ。車は実家のものを使うから正味僕にはノーコストだし、僕の仕事は楽器の積み降ろしと組み立て、そして往復2時間ちょっとの運転だけ。そして僕は車を運転するのが好きだし、依頼者も顔見知りである程度気が知れている。拘束時間カウントでもすこぶる分の良いオファーで、定期演奏会直後で時間に余裕のある日程かつ卒業旅行等に向けて資金も欲しかった僕には渡りに船の案件だった。思いがけなさ過ぎて動揺したが二つ返事でOKした。

 

 そして当日。家の車でS先生の自宅へ向かった。最寄り駅が隣どうしだったので10分もかからずに着いた。先生に電話を掛けると、家族の方と大きなケースを抱えて出てきた。この日運ぶことになるマリンバだった。自宅のパッソの後部座席を倒してギリギリ収まるシンデレラフィットだった。このマリンバマリンバとしては小ぶりな方だったが、S先生が18歳だか20歳だかの時に買った最初の大きな楽器だったらしい。今ではこうした出張演奏にもガンガン持ち出される切り込み隊長となっている。とはいえまさか教え子の所属先のオーボエ吹きの実家の車(パッソ)に積まれるとは思うまい。

 K市までは高速で1時間と少し。何なら僕が高速教習を受けた時のまさにその目的地と一緒なので、そんなに遠くは無い。車内では助手席に座ったS先生と、演奏会を終えて僕が引退したばかりの吹奏楽団の今後についてわりかし真面目な話をしていた。

 特に問題も無くあっさりと、K市の市街にある複合施設的な建物に到着した。公民館と図書館とが一緒くたになったような最近ありがちな施設だ。駐車スペースでマリンバを降ろし、今回演奏することになる多目的ホールまで運び込んで一緒に組み立てた。マリンバは自分の団のそれを組み立てた経験があるのでなんとなく勝手は分かっていた。

 

 今回のS先生の仕事は、一人で受けたものではなかった。S先生の音大の同期のフルート奏者の女性Dさんと二人で演奏をすることになっているという。マリンバを組み立て終えると程なくしてDさん(美人)が到着し、挨拶を済ませたら僕は暇になった。二人が簡単に事前打ち合わせと曲の入りの練習をする様を大部屋の隅からぼーっと眺めて待機時間を過ごした。

 それから主催者との顔合わせみたいなものとか、3人で弁当をつつきながら喋ったりとかもあったはずなのだがそのあたりはあまり覚えていない。次に明確な記憶があるのは、さっきまでがらんどうだった大部屋に100人以上の老人たちが詰めかけ、僕は部屋のいちばん後方に席を用意してもらいそのイベントのご相伴に預かっていた事だ。

 S先生とDさんが依頼を受けたこのイベントの趣旨について、事前にはほとんど聞いていなかった(たぶん呼ばれた奏者たち自身もあまり知らなかったと思われる)ものの、後方から様子を眺めているうちになんとなく掴めてきた。どうやらこの集まり自体はこの多目的ホールで毎月行われているもので、レギュラー回では「みんなで歌って健康になっちゃいましょう」的な構成のところを、今回はプロの奏者をお呼びして生の楽器演奏を聴いてみようじゃないかとそういう趣旨らしい。主催者兼進行役は、地元でそれなりにブイブイいわせていそうなマダムで、どうやら歌の心得がある方と見受ける。でもなんか正直なところ言動の節々が鼻につく。存分に主観を込めてこの催しの趣旨を表現するならば、「地元の文化人たるワタクシが地域の皆さんに馴染みの無いであろう音楽の世界に触れさせてあげますわ」的な雰囲気がムンムンだったのだ。要するに全てにおいてだいぶ上から目線な「まあ貴方がたにはよく分からないでしょうけれど」とでも言いたげな(実際ちょっと言っていた)物言いがにじみ出ていた。僕らは金を貰う側だから黙ってそこに座して話を右から左に聞き流すけれど、ここにいるご老人方は、多少とはいえわざわざ金を払ってまでこんな偉そうに喋るご婦人の話を聞きつつ歌(童謡)を歌うためだけにここにいるのかと思うとなんだか切なくなった。

 何をそこまで言わんでもと思う方もいるかもしれないが、その地元文化人気取りマダムは、S先生が「今日臨時でお手伝いをしてくれています」と紹介した僕のことを、僕に聞こえるように「燕かしら」などと言ったのだ。それも一度きりではなく、二度目は催しの最中にマイクを通してまで。燕の意味するところは知っていたし、たぶんそれなりの申し立てをすることに違和感のない言われようだったが、僕は怒りや呆れというよりもいっそ面白くなってきてしまった。こんな人たちが「普通」に活動しているこの世界、この仕事を引き受けなかったら垣間見る事すら無かっただろう。なぜかとてもワクワクしていた。

 

 そんなこんなで催し自体はつつがなく(?)終了し、参加者のご老人方はぞろぞろとホールを出ていった。もうちょっと参加者同士でつるんだりするものかと思っていたが、存外あっさりと散り散りに帰っていく様子だった。マジでこの人たちこの催しのためだけに外出してきたの? お願いだからサクラだと言ってよというのが僕の素直な感想だった。

 終演後、今度はフルートのDさんも交えて3人でせっせとマリンバの解体と梱包を始めたわけだが、主催者の地元文化人気取りマダムはS先生とDさんと燕の僕に二言三言の挨拶をすると、取り巻きと共にそそくさと立ち去っていった。我々は金を貰ってやって来た立場とはいえ、完全にアウェイな僕ら3人だけが主催者も参加者もいなくなったその施設に取り残された。あとでS先生はそのことにちょっとばかり苦言を呈していた。

 それでもS先生はさすがのプロ(演奏以外でも)だなと思ってしまったのが、帰りの車中で「なんかすごい異質な空間だったね」的な話までは二人で言及したものの、それ以上に主催者の言動を否定するような発言をしなかったことだ。腕だけでなく人脈と愛想が仕事に繋がる世界なんだろうと、業界の事はよく分かっていないなりに感心してしまった。ただし僕は直接主催者から雇われた身ではないのでこうして9年越しに白状してみた。

 ちなみに、S先生とDさんとはそれぞれFacebookで友達になった。この日のDさんの投稿にあるDさんとS先生とのツーショット写真は、僕が撮ったものだ。